サンジルシの歴史 HISTORY

桑名藩の御用商人として、回船問屋を営んでいました。

桑名藩のご用商人として、回船問屋を営んでいました。
桑名藩のご用商人として、回船問屋を営んでいました。

1804

文化元・享和4年

桑名藩の命により、みそ・しょうゆ醸造業を創業。

サンジルシの前身は、桑名藩・御用商人の回船問屋でした。伊勢湾に注ぐ揖斐川、木曽川、長良川の三大河川の豊富で良質な水は、みそ・しょうゆ醸造にとって多大な恩恵の源であり発展へのかけがえのない基盤となっています。
※明治時代に入ると、みそ・しょうゆ醸造業に主力が移行。揖斐川沿いにならんだ回船業当時の倉庫は、明治末期にはすべてがみそ・しょうゆの仕込み蔵になりました。

1935

昭和10年

オート三輪による輸送をスタート。

これまでの大八車にみそ桶、しょうゆ樽を乗せて運ぶというスタイルを一新。 オート三輪の導入は桑名地方では初めてのことであり、輸送力を強化することで販売エリア拡大の口火を切りました。
さらにその後、インスタント食品のはしりともいうべき固形みそ、粉末しょうゆを開発するなど研究開発に積極的に力を傾注。業容も、急速に拡大しました。

1951

昭和26年

法人会社に変更。

「株式会社佐藤信之助商店」を設立しました。

法人会社に変更。
法人会社に変更。

1963

昭和38年

「サンジルシ醸造株式会社」に社名変更。

昭和30年代(1955~)に入ると、みそは、明治・大正時代に普及したいわゆる竹の皮に包んで秤売りするというスタイルから、現在のようなポリエチレンの小袋詰包装による流通へ移行。こうした流れが、創業以来培われた醸造技術の粋を結した”サンジルシの料亭”としておなじみのロングセラー「料亭赤だし」登場の背景になったのです。

1971

昭和46年

「料亭赤だし」発売

「料亭赤だし」

1972

昭和47年

現本社に工場を移転、近代設備を完備。

工場敷地面積は1万平方メートルから5万4千平方メートルに拡張。 伝統的な醸造技術に加えて近代設備を完備し、昭和から平成へますます多様化するニーズにお応えできる体制が整いました。研究開発にもさらに重点を置き、たまりしょうゆについては、全国品評会で最高位の農林水産大臣賞の栄に浴すという、うれしい成果を上げています。

現本社に工場を移転、近代設備を完備。

1978

昭和53年

アメリカ合衆国に、現地法人を設立。

アメリカ合衆国バージニア州リッチモンド市に、現地法人「SANJIRUSHI INTERNATIONAL」を設立し、たまりしょうゆの輸出を開始しました。

1987

昭和62年

アメリカ工場竣工。現在のSan-J International Inc.となる。

アメリカ合衆国で、小麦を使わない大豆100%のたまりしょうゆに大きな引き合いが寄せられ、バージニア州リッチモンドに本格的な醸造工場を竣工しました。
たまりしょうゆは現在、世界の調味料として浸透しています。

アメリカ工場
アメリカ工場

2004

平成16年

創業200年

みそ・しょうゆの醸造を始めた1804年より、創業200年を迎えました。

2005

平成17年

ヤマサ醤油株式会社のグループ会社になりました。

ヤマサ醤油株式会社

2021

令和3年

「料亭赤だし」50周年

「料亭赤だし」が、販売50周年を迎えました。

「料亭赤だし」50周年
「料亭赤だし」50周年

2022

令和4年

ヤマサ醤油株式会社へサンジルシブランド製品を販売委託

御取引先様との窓口業務をヤマサ醤油株式会社が一括対応するようになりました。


グリーンライン 新ブランド立ち上げ

サンジルシ